名古屋高等裁判所金沢支部 昭和29年(う)10号 判決
原判決を検討するに、原審は、挙示の各証拠を綜合し、「被告人は、石川県石川郡松任町字辰己町六十番地に於て、「福の家」の屋号を用いて、料亭営業を営んでいる者であるが、同居中の姪であるB子事A子(昭和十年十二月二十五日生)をして、昭和二十八年六月中旬と同年七月中旬の二回に亘り、右福の家に於て、同店の客二名に対し売淫させ、以て児童に淫行をさせたものである。」旨の事実を認定したものであることを認め得る。よつて其の当否を案ずるに、原審第二回公判証人尋問調書中証人A子の「本籍は福井市であるが、出生地は知らない。四年程前名古屋(鶴賀菊次郎方を指すと認められる。)で臍の緒が箱に入つているのを見た。緒を包んだ紙に昭和十年六月二十五日生と書いてあつた。満十八歳にならねば客をとれない事は知つていた移動証明書には昭和十年十二月二十五日生れと書いてあるが、被告人には、自分が六月二十五日生れだという事を話してある。客を取るつもりで言つたのではない。臍の緒の箱には姓は書いてなかつたが、名前をB子と書いてあつた。」旨の供述記載、同公判証人尋問調書中証人鶴賀菊次郎の「自分は被告人と兄妹で、B子は貰つた子である。昭和十年春頃、自分は西マサエと結婚し、間もなく貰つたのである。生れて一週間位経つた子供だつたと思う。貰つた季節が春秋のどの季節であつたかは憶えていない。B子の臍の緒は、B子を貰つた時、小さな箱に入れてあるのを貰つた。自分は学校を出ていないから、字が読めないので、書いてあつた字には気がつかなかつた。西マサエと別れてから又妻を貰つた。其の妻がこの子を虐待するので、被告人のところへよこした。B子を貰つたとき、B子の籍はすぐには、いれなかつた。B子を貰つた時二十五円金がついていたと思う。」旨の供述記載、同公判調書中証人牧選一の「自分は少年事件を担当しているので報告により本件の捜査に当つた。B子を取調べたところ昭和十年六月二十五日生れだと言うし、本籍照会には同年十二月二十五日となつているので、それでいろいろと調べた。A子は六月二十五日生れだと言い張つていた。」旨の供述記載、B子に対する検察官作成供述調書中「自分が最初に客をとつたのは今年の六月三日頃である。お客をとる様になつたのは、その日かあさんの鶴賀きんが、自分に『何時迄もこうしているのもなんだから、今日から商売に出たらどうかね。無理にとは言わないが。』と言つたので、自分としても、何時迄もかあさんの世話になつて居たのでは気がひけるからお客をとる決心をした。自分は昭和十年六月二十五日生れだから、其の日になる迄は、満十八歳とはならないので、お客と一しよに寝たりする様なことは出来ないことは、かあさんから聞いて知つていたが、恩義あるかあさんに右の様なことを云つて暗にすすめられるので客をとることに決心した。自分が昭和十年六月二十五日を自分の生年月日であると信じていたのは名古屋の実家に居た頃に、自分の臍の緒を入れた箱を見つけたが、それに右の生年月日が書いてあつたからである。又かあさんの鶴賀きんにも福の家に来てからこの事を話しておいたから、かあさんも自分の生年月日を右の日付であると思つて居た筈である。」旨の供述記載、被告人に対する司法警察員作成第一回供述調書中「A子は将来商売するので、其の年齢を知る必要があつたので本人に聞いて見ると、『臍の緒を入れたものに昭和十年六月二十五日と書いてあつたから、今年の六月二十五日になると、満十八歳になる。』と言うから、この六月に入ると商売出来るのでないかと思つていた。本年六月初頃と思うが柏野村の松野と言う人が来り、A子の水上げをしたいと言つたので、A子を呼んで聞くと、すぐに承諾をしたので、自分は階下の離れに床を引き二人を案内してそこへ入れた。その時の金は松野が、『どれ位やらんならんか』と聞いたので、自分は本人に時計などを買つてやらんといかんし、二万円と云つたが、『高いぜ』と云つて一万五千円くれた。貰つた金は、A子に時計を買つてやり、金歯を入れてやつたので、その内一万円位B子にやつたことになる。その次は七月末頃宮保村の笠間と言う人が来て、A子と寝たいと言うので、A子に聞くとすぐ承知したので、離れへ行き『何かやつてたいま』と言うと、笠間は、四千円をA子の指輪の金としてくれ、飲んだ金と合わせて七千円位くれた。この四千円は指輪を買つてやり、二、三百円残つた丈けで、殆どA子のために品物を買つてやつたことになる。」旨の供述記載を綜合すれば、A子は鶴賀菊次郎の実子でなく、生後間もなく他より貰受けた養女であること、並に右菊次郎方に保存されていた、かず子の臍の緒を包んだ紙には、「昭和十年六月二十五日生」、臍の緒を入れてあつた箱には、「B子」とそれぞれ記載してあつたことを各認めるに足り、なお、記録を精査しても、右A子、菊次郎等に於て、何等かのためにする意図の下に、ことさら虐構の供述をしているような形跡の認めるに足るものが存しないから、A子の戸籍謄本(記録第一八丁以下)中、「父鶴賀菊次郎、母西井マサ、二女A子、出生昭和十年十二月二十五日」なる記載及びこれをさらに移記したと認め得る移動証明書等の記載は、A子の氏名の点を除き、全部事実と相違するものであると認むべく、A子の父母は氏名不詳であつて、其の出生は同年六月二十五日であると認定するをもつて至当なりと考える。尤も前記の認定に従つても、本件公訴事実中、被告人が昭和二十八年六月中旬頃A子をして淫行を為さしめた点は、児童福祉法第三十四条第一項第六号第六十条第一項に該当することが明白であつて、この点については、原審の見解を是正する必要あるを見ないけれども、然しながら、同年七月下旬頃、再度同人をして淫行を為さしめた点については、叙上の証拠にこれを照せば、該所為は、前示法条には該当せず、却つて、他の法令、例えば、昭和二十二年一月十五日勅令第九号第一条又は第二条等に牴触するかの如き状況に在ることを窺知するに足るから、この点より観察すれば、原審は、すべからく訴因の変更を命じ、さらに審理を尽した上、十分な資料に基いて事実の認定をなすべきであつたと思われる。そうして見れば、事茲に出でず、前掲各供述を曖昧なりとして、これをたやすく排斥し去り、他にこれを肯定するに足る資料全くなきに拘らず、戸籍の記載をもつて、真実に符合するものと速断し、A子の出生時を昭和十年十二月二十五日であると認定した原判決は、畢竟するに審理を尽さず、証拠の価値判断を誤り、延いて事実を誤認したものと言うべく、右の誤認は判決に影響すること叙上の如くであるから、論旨は理由があり、原判決は破棄を免れないものである。